ポリオが残したもの

~ 映画『ブレス しあわせの呼吸』を観て

この映画の主人公ロビンは、28歳でポリオに罹患。余命数カ月を宣告されて36年、人工呼吸器と共に、世界一幸せに生きた男とその家族の奇跡の実話です。
主人公ロビンはまぎれもなくポリオサバイバーとして生きたのですが、その姿は一般的なポリオサバイバーとは少し違うかもしれません。ポリオを知る人は「えっ!ポリオ?」と思うでしょう。それはロビンが大人になって骨格が完成してから罹患したことと、もうひとつ、ロビンのような致命的とも思える呼吸まひを伴った人の生存率は非常に低かったからです。

ロビンは気管切開し、人工呼吸器をつけたまま、病院を出て社会の中で暮らすことを選びます。障害者の自立活動の運動の先駆けでもあるわけです。家族や友人の愛と創意工夫がそれを可能にしました。

ポリオの呼吸まひを救うために開発された鉄の肺が人工呼吸器の始まりであることは、ポリオ関係者や呼吸器関連の医師なら知っています。しかし、呼吸器付き車イスもポリオサバイバーの工夫であることは知りませんでした。

日本でも流行したポリオ

作品の中にはさらりとしか出てきませんが、人工呼吸器の基となるのが呼吸まひのポリオ患者のために開発された「鉄の肺」です。この鉄の肺が呼吸まひ患者の生存率を上げることになります。

私の友人である四宮 紗代さんは、この鉄の肺によって生還したポリオサバイバーです。鉄の肺の経験者で今も存命の人はもうあまりいないはずです。
紗代さんは19歳の時にポリオに罹患します。銀行員として働き始め、青春を謳歌していた時です。ある日突然、割れるような頭痛に襲われ、呼吸困難になり、手足がまひし、意識もうろうのまま、病院に搬送され鉄の肺に入れられます。

鉄の肺はドラム缶を横にしたような外観で、その中に首から下の全身をすっぽり収めます。缶の中の圧を変える事によって呼吸を助けます。彼女は10カ月間をこの鉄の肺の中で過ごしまた。

なんとか呼吸が出来るようになった後は鉄の肺を出て、家族の世話のもと暮らしました。もう仕事に復帰できる身体ではなく自宅でほとんどを過ごすのですが、感性の豊かな紗代さんは俳句を詠み、エッセイを綴りました。

そんな彼女もポリオの二次障害であるポストポリオ(※)を発症。再び、呼吸まひで生死の境をさまよったのです。死も覚悟したそうですが奇跡的に回復しました。

先日、お父さまを亡くされ施設に入った紗代さんに久しぶりに会ってきました。

なんと、彼女は気管切開をし呼吸器をつけていました。声も失っていました。そして枕元には「停電時は緊急搬送」のカードが……。ポストポリオは、ポリオに罹患してやっと這い上がってきたのに、さらに深い奈落に突き落とされるようなものと思っていますが、彼女は三度突き落とされたのです。
しかし、彼女は以前より晴れやかな顔をしていました。かすかに発する声と、まひの手での筆談で、「もう死んでもいいと」ととびきりさわやかな顔でいうのです。

その彼女に「頑張って!」とは言えませんでした。ただ「あなたのような体験をし、今も存命しているポリオサバイバーは世界の中でも希少。もう一冊、本を書いてあなたのことを残そうよ」とだけ言いました。

私個人の経験

ポリオサバイバーは、障害の程度は別にして、創意工夫と周囲の理解や愛情で生きてきました。私自身もそうです。

私は、1952年6月、やっと伝い歩きができるようになった1歳の誕生日の直前にポリオに罹患。医師に恵まれ、発症前にポリオの可能性を診断されると言う不幸中の幸いもあり、回復はよかったと思います。

稲村敦子さん

長い入院の後、どうにか歩けるようになって退院しました。それからは日常がリハビリでした。例えば電車の中で、私は座らせてもらえません。母は私を支えて立たせ、バランスを覚えさせました。たぶん、周囲の刺すような視線の中で。当然、負けん気が強い何でも挑戦したがる子になりました。小学校では最初は体育は当然のように見学でしたが、それが我慢できない私は、ジャングルジムで逆上がりをマスターしました。それを見ていた先生が、私の努力を認め、体育はできるだけ参加させてくれました。

日常生活がリハビリ。それは簡単なようで家族には大変な事だったと思います。母が私のリハビリに専念するため、姉と兄は祖父母に預けられていました。しかし、姉兄は私を恨むこともなく、いじめや差別から守ってくれました。

それ以後も、さまざまな場面を創意工夫と周囲の理解で乗り切ってきたと思っています。ポストポリオを発症した今も同じです。

ポリオが残したもの、私たちが残さなくてはならないもの

長い歴史の中、ポリオは医療や福祉に多大な貢献をしてきたにもかかわらず、根絶を目前にしながらも、未だに治療法がありません。ポリオも、ポストポリオの治療法が解明されれば大きく医療は前進するはずです。今、なされなければ永遠の闇になってしまいます。

ロータリーをはじめ多くの人、団体のご尽力で、ポリオは根絶目前です。心から感謝しています。ロビン、紗代さん、私のようなポリオサバイバーを苦しめてきたポリオが、一日も早く世界からなくなってほしいと思います。

ただ、ポリオの最後を見届けられるかもしれない今の時代に生きる私たちポリオサバイバーは、ポリオのことを今後も伝えていかなければと思っています。今、発症している人もおり、多くのポリサバイバーがこれからポストポリオに直面していくからです。罹患時に呼吸器を使う事のなかったポリオサバイバーの中にも、ポストポリオで人工呼吸器を必要とする人が増えてきています。

『ブレス しあわせの呼吸』の日本公開を機に、ポリオについて大勢の方に知っていただけることを願っています。

(※ポストポリオ症候群:ポリオ発症から十数年から数十年後に、マヒの部分やマヒがなかったと思っていた部分に、新たな筋力低下や筋萎縮が出ること。激しい痛み、冷え、疲労感などを伴う。ポリオ発症者の60%くらいがポストポリオ症候群に直面すると推定されるが、正式な統計はない。)

<なし>

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ハミド・ジャファリ(WHO東地中海地域ポリオ担当ディレクター) | 3月. 25, 2024